読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

doku91’s diary

母の呪縛から逃れたい

春休み

高校に合格して

中学卒業するまで

とにかく遊びまくった。

 

連日夜も家に帰らなかったりもした。

 

父には警察のお世話にだけはなるなと言われた。

 

中学卒業するのは死ぬほど嫌だった。

青春だった部活が、

もうあのメンバーで合奏できないのか

と思うと死にたかった。

最後の夏にはみんなで金賞を受賞した。

ほんとに今までで一番胸がときめいた。

もうそれを超える何かは起きないと思った。

 

やさぐれた。

 

中学卒業してネットの掲示板で出会った3歳上の男と付き合った。

それが母にバレて別れさせられた。

 

高校の入学式、

母側の祖母の家から通った。

母には来なくていいと言っていたのに来た。

 

入学式の写真を撮ったが

母が来た事でイライラしてた私は

思いっきり不機嫌な顔に写った。

 

大人気なかったかな。

受験

中学3年生になって

進路を考えなくてはいけなくなった。

 

どうでもよかった。

 

父が決めた高校に行く事にした。

 

母が勝手に家庭教師を雇った。

 

とにかく人がウザかった私は

家庭教師の当時20歳の男性に

反発しまくった。

 

今となっては笑える。

ごめんね、お兄さん。

 

 

母が普通のときは普通に会話していたし

常に機嫌が悪くならないように

顔色を伺いながら接していた。

父が仕事から帰って来るまでの時間が辛かった。

 

母は父の会社にも電話をして

帰って来させたりもした。

私に電話を掛けさせるときもあった。

 

高校に入ったらばあばの家から通う。

 

私は中学卒業前くらいから

ずっとそう言っていた。

コタツ

母は薬(抗うつ剤睡眠薬)を飲むと

ろれつが回らなくなり

わけがわからない事を言って

しばらくしたら眠る

 

呼んでも叩いても蹴っても起きない

半日くらいは寝ている

なので薬を飲むのは有り難かった。

 

冬はリビングにはコタツを出していた。

 

学校から帰ると家に救急車が来ていた。

父がお母さんが薬飲んでコタツで寝てたから

火傷したって言った。

 

近所に恥ずかしい

またしばらく家に母がいないから嬉しい

そのまま死ねばよかったのに

 

とかいろんな感情があった。

先生

私はこの苦しを誰かに知ってもらいたくて

学校でもリスカをした。

と言ってもトイレの個室や

誰にも見付からない所で。

 

包帯を巻いていたら友達にどうしたの?って聞かれて

焦って ちょっと捻挫 って返事をした。

 

部活は楽しかったが

他は楽しくなかった。

と言うか無気力だった。

もういつでも死ねるから

好きな事だけして生きようと思ってた。

 

2年生の後半からほぼ毎日遅刻していた。

朝早くから学校に行く意味がなかったから。

勉強もほとんどしなかった。

もちろん先生には呼び出される。

職員室ではない、

不登校の子が通うカウンセリングルームだった。

 

そこで私は

お母さん、病気なんです。

と言った。

うつ病、母は家事をしない、

毎日辛い。

母の機嫌をとらないといけない

機嫌が悪くなれば暴れる事も言った。

 

その腕は自分で切ったの?

と聞かれた

包帯を巻いていたから。

 

そう。

と言って涙が出た

いつ振りに人前で泣いたかな

ずっと一人で泣いてたから。

 

話を聞いてもらえただけで

何もしてくれなかった。

でもその時はそれでもよかった。

 

次の日からも毎日遅刻して行った。

 

母が学校に電話をする事もあった。

娘を今から帰らせろと。

 

今思えば学校が児童相談所に報告してくれたら

保護してもらえたのに。

肉体的な虐待じゃないと無理だったのかな。

 

生き甲斐

何の楽しみもないまま中学に入ったが

友達に誘われて部活に入った。

 

私は音楽が生き甲斐になった。

 

みんなで一つの物を創る素晴らしさ

そこから吹奏楽にどハマりした。

 

母はそれを気に入らなかった。

 

発表会や遠征があると父が来てくれた。

それがもっと母を怒らせた。

母は父に私の悪口を言っていた。

母は私と父が仲良くしているのが気に入らなかった。

 

私は父のことが好きだった。

父は私の味方、お母さんが病気だからこそ

私にいろいろしてくれるんだと思っていた。

うちに借金があるのはお母さんのせい。

お母さんがパチンコで使うから。

父はそう言っていた。

 

母は

お父さんは結婚する前に

借金をしていてそれを隠していた

今もまだ返してないと言っていた。

 

私は父を信じていた。

 

死にたい

小学5年生になる頃

私自身もリスカをし始めた。

最初は母みたいになりたくない

母と同じ事なんかしたくないと思っていたのに。

 

夜中に母のカバンからタバコを1本

抜き取ってベランダで吸ってみたり

 

母を殺すか自分が死ぬかで本気で悩んだ。

毎日夜に布団の中で

母を殺すシミュレーション、

自殺の方法

そんな事ばかり考えていた。

 

母は機嫌が良い時は

満面の笑みで両手を広げて

なおちゃーん、おいでー

って

私は

えー

苦笑いをして誤魔化した。

まじきもい、死ねって思ってた。

ほんとに気持ちが悪い。

今思い出すだけでも背筋がゾッとする。

 

母に一度だけ首を絞められた事がある。

言い争いになった時だった。

ただ母は本気ではなかったのか

私は母を投げ飛ばした

その時私は

母はいつでも殺せるってちょっと心に余裕ができた。

 

そんな調子で

私は中学に上がった。

プレッシャー

父に聞いた

 

なんでお母さんはあんなんなん?

 

お母さんはな、病気やねん、

うつ病、薬飲んでなおかしくなるねん

心は幼稚園児並みや、

だからなおちゃん、大人になったって。

早く大人になって、

幼稚園児扱うように優しくしたって。

 

早く大人になって

 

それがプレッシャーになった。

 

それからは母に冷たく当たった

泣いてても無視。

必要最低限の会話しかしなくなった。

 

母は言う事を聞かない

可愛くない私に罵詈雑言を浴びせた。

 

親に向かってその態度は何?

育ててやったのに

お前何様?

親不孝者

死ね

お前なんかいらんねん

 

一通り言い終えたら

次は

死ぬ死ぬ詐欺

 

今から死ぬから

と言って包丁を持ち出し

自分の体を切った

私の目の前で。

 

私は私も刺されるかもしれないと

身構えた。

 

死ぬと言っても絶対死なない

母は弱いから死ぬ勇気なんかない。

そう思ってた。