doku91’s diary

母の呪縛から逃れたい

お金の価値

小学3年生でお小遣いは毎月1万円あった。

私はお金の価値がわからなかった

携帯も買ってくれた

 

暇つぶしの材料は沢山あった。

 

母は毎日朝から夕方まで、

晩ご飯を食べてからは

父と2人でパチンコに行っていた。

 

お金がなくなると

母は暴れた。

包丁で腕を切ったり

消毒薬を飲んだり

タオルで自分の首を絞めたり

ベランダに出て飛び降りようとしたり

睡眠薬を大量に飲んだり

 

全て私の目の前で

 

正直バカらしかった

呆れた。惨めだ。と思っていた

でもたぶん心のどこかでは

怖い、誰か助けて、逃げたい

そう思ってたけどそれを感じないようにしていた。

 

睡眠薬を飲んだときが厄介だった。

ろれつが回らなくなり

意味のない事を叫んだり

幻覚、幻聴があったのかは

わからないけど

とにかく騒ぎ立てた。

 

その状態で車を運転してたのが恐かった

誰かを轢いたりしたら…

逆にそのまま事故って死んでくれとも思った。

 

そんな母を恥ずかしいと思った。

私よりも精神年齢が低かった。

機能不全家族

そんな毎日が1年くらい続いた頃

私はだんだん母がうっとおしくなった

けど表面上は陽気に振る舞っていた

 

友達の家に遊びに行くと

私の知ってるお母さんじゃない

お母さんが居た。

 

なんでお母さんは他の子のお母さんの違うの?

 

何かが違う、お母さんおかしい?

 

そう思い始めた。

 

ちょうどその頃

学校から帰ると毎日お母さんは

家に居なかった。

気楽でよかった

晩ご飯の時間には帰って来た。

父と母と私で晩ご飯を食べた後

 

ちょっと出掛けてくるわ

すぐ帰って来るから

 

と言って父と母は出て行った。

気楽でよかった。

1人で家に居るのが楽しかった。

自由で楽しかった。

暇つぶしが出来るように

マンガやゲームを買ってくれた。

 

寂しい、悲しい、もっと甘えたい。

たぶんそんな感情を感じないようにしてた

 

母はお金がある時は

私に優しく家の中も明るかった。

ホッとしながらも

次のお金がない日が来るのがいつかと恐かった。

お母さん

引っ越しを繰り返して借金をするうちに

首が回らなくなってきた両親は

母の実家に住む事にした

私が小学2年生のときである。

 

それがまた新たな毒を生んだ。

 

たった3ヶ月だった。

 

家を出た。

 

そしてまた家族3人での生活が始まった。

 

母は私を必要としていた。

たった8歳の私に母は両親の愚痴

昔裸足で逃げ出した事、

母は妹と比べられ

辛い人生を送ってきた事。

日々の愚痴。

仕事の事、父の悪口、お金がない事。

 

お母さんにはあなたしか居ないの

 

そう行って泣き付かれた事が何度もある

 

私がお母さんを助けなくちゃ。

8歳の女の子は純粋にそう思うだろう。

 

私は母を笑顔にしようと

冗談を言ったり

踊ってみたり

お母さん大好き

なんか書いた手紙を枕元に置いたりした。

とにかくとにかく家の中では陽気に振る舞った。

 

母の顔色をずっと見ていた。

 

でも母はそれだけでは元気になってくれなかった。

 

母は私に死にたいと言った。

 

私は母にお母さんが死ぬなら私も死ぬ

どこにでも付いて行くよと言った。

 

2人で睡眠薬を飲んだ。

 

直後に私に睡眠薬を吐かせた。

 

母は泣いていた

 

私も泣いた。

 

自分の無力さに泣いていた。

なぜ母を元気にしてあげられないんだ、と。

自分を認めてくれる存在

赤ちゃんにはママが必要だ。

ママにとっても

赤ちゃんは10ヶ月もお腹の中に居てた

自分の分身のようで

守らなくてはいけない存在である。

 

母は赤ちゃんだった私を愛して居た。

ママじゃないとダメな私を。

オシメを替えてミルクを与えて

腕の中で眠る私を愛おしく想っていた。

 

ダイレクトに自分の事を必要としてくれる

唯一の存在が私だった。

 

でもそれは永遠には続かない。

育児ノイローゼ

育児ノイローゼになった母は

父にこれよりもあたるようになった。

 

とにかく人と関わるのが嫌になり

近所付き合いもうまくいかなくなって

何度も引っ越しをした

私が小学生に上がるまでに8回も転々とした。

 

引っ越しをする為に借金をした。

私は望まれたのか

母はきっと逃げ場が欲しかっただけ

結婚する人は誰でも良かった

とにかく家から出たかった

捻くれてるのか私はそう思う。

 

母の父は昔ながらの頑固オヤジで

母には背を向けてしか話さない

何事にも父の許可が必要だった

門限も厳しく結婚も簡単に許してもらえなかった

 

 

 

母は出産後里帰りをした。

それがまた新たな毒を作った。

 

赤子が泣くと

うるさい!

と母の父は怒鳴った。

それが恐くて恐くて

母は少しの泣き声でも

ビクビク怯えて育児ノイローゼになった。

 

早々に里帰りをやめて

自宅に戻り

一人で子育てをした

ストレスからは母乳は出ず

泣けばミルク泣けばミルク…

 

 

それでも数少ない私の幼少期の頃の写真に写る

母は笑顔だった。

父から聞いた話

結婚後

母は浮気をしたり家出をしたり

今まで溜めていたものを

爆発させたかのように

父と激しく喧嘩をしたらしい

始めの妊娠は浮気との間にできた子で

結局は流産してしまった

その後にできた子が私と言った。

ちゃんとお父さんとお母さんの子だよ。と

 

嘘かホントかはわからない

嘘でもホントでも嬉しくも悲しくも

なんの感情もないよ。私は。

 

ここに産まれてきた事が

私にとっては失敗だった

 

私はお父さんもお母さんも要らない。